このブログでは「なぜ自衛隊に入ったのか」を書いた。きっかけは一冊の本だった、という話である。
だが「なぜ辞めたのか」はまだ書いていなかった。今回はそれを書く。
結論から言うと、理由は3つある。金と、階級と、シャバの空気だ。
世間が、あまりにも景気が良すぎた

私が在隊していたのは1980年代の後半。バブルの、終わりかけの時期である。
終わりかけとはいえ、世間の景気はまだすさまじかった。どれくらいすさまじかったかというと、当時の1万円は、今の1,000円くらいの感覚だった。
語弊があるかもしれないが、体感としては本当にそうだった。今みたいにスマホ決済もカードも普及していないから、支払いは全部現金である。タクシーに乗って1万円。飲みに行って1万円。みんな一万円札をバンバン出していた。
そんな時代に、自衛官は何かというと国家公務員である。
公務員の給料は安い。ボーナスの回数や安定性はすごいのだが、年収で見ると、あの頃の世間の水準からするとどうしても見劣りした。衣食住がタダで貯金はできる。それは分かっている。だが外の景気が良すぎたのだ。
若かった私は、単純にこう思った。外に出た方が、儲かるんちゃうか。
階級の分かれ道が来ていた
もうひとつ、タイミングの問題があった。3期の満期が近づいていたのである。
自衛隊の士(一般隊員)には任期制があって、2年ごとに区切りが来る。私はそこまで6年勤めていた。
そして当時の私の階級は士長。ここから上に行くには、昇任試験を受けて陸曹にならなければならない。昔の言い方でいうと上等兵から下士官に上がるようなもの、だと思う(このへんの正確な対応は自信がない)。
試験の中身は、正直そんなに難しくない。一般教養が中心で、そこに自衛隊の専門的な問題がいくつか混じる程度。こんなことを言うと怒られそうだが、まあ簡単な部類である。
上の人たちからは「試験を受けて通れ」「階級を上げろ」と何度も言われた。
だが、私は受けたがわざと間違えてうからなかった。
受けて通ってしまったら、そこから先は「一生ここにいる」道に近づいてしまうと思ったからだ。まだ若かったし、一生自衛隊にいるつもりはなかった。いつかは外に出たかった。
そして、シャバの空気を吸いたかった
3つ目の理由がこれである。理屈ではない。
朝はラッパで起こされ、飯の時間も決まっていて、外出には申請書がいる。あの生活が嫌いだったわけではない。むしろ得たものの方が多い。
それでも、シャバの空気を吸いたかった。
若い頃というのは、そういうものだと思う。
引き止めてくれた人がいた
辞めると言った時、熱心に「残れ」と言ってくれた人が何人もいた。
自慢のように聞こえたら申し訳ないが、なぜか中隊長クラスの、結構上の人に可愛がってもらっていた。あの人たちからは特に強く引き止められた。
理由は自分でも分からない。ただ、私は昔から好き嫌いがはっきりしている人間である。敵と味方がはっきり分かれるタイプだ。
だから、好かれる人にはとことん好かれる。逆に、嫌われたらとことん嫌われる。とんでもない人間である。仲の良い人からは本当によくしてもらったし、その人たちに「残れ」と言われた時は、正直ちょっと迷った。
辞める手続きは、あっけなかった
ところが、いざ辞めるとなると、これが驚くほどあっさりしていた。
「次の任期どうする?」と聞かれる。
「あ、次でやめます」と答える。
これで終わりである。書類も、確か紙切れ一枚だったと思う。
あとは支給されていた装備品を全部返して、退職金をもらって、バイバイ。6年間がそれで終わった。
**一番面倒だったのは、最後の挨拶回りである。**あれだけは長かった。
半年遊んで、証券会社に行くつもりだった

辞めた後、しばらく何もしなかった。退職金もあったし、3か月……いや、半年くらいは遊んだと思う。
そして、次に行きたかったのはこれである。
- 証券会社
- 不動産会社
バブルだったからだ。あの頃、一番羽振りが良さそうに見えたのがこの2つだった。単純な理由である。
ところが、そうはならなかった。
**先に辞めた先輩が、建設会社に入っていた。**その先輩が私のことをあちこちに紹介してくれて、気がついたら建設会社に入っていたのである。正直に言えば、ちょっと強引な勧誘だった。
こうして私は、証券マンにも不動産屋にもならず、天井クレーンの運転手になった。
結果的には、それが正解だった
その後どうなったか。**バブルが弾けた。**それも強烈に。
私が入った建設会社も、結局は倒産の憂き目にあった。だが今にして思えば、証券会社や不動産会社はもっと悲惨なことになっていたはずである。
しかも建設会社にいた間に、いろんな免許を取ることができた。自衛隊で取った免許と合わせて、その後の40年を食わせてくれたのは、この現場の技能だった。
強引に誘ってくれたあの先輩には、今でも感謝している。あの時、証券会社の門を叩いていたら、私の人生はもっと荒れていたかもしれない。
それでも、ひとつだけ言うなら
散々「結果的に正解だった」と書いておいて何だが、最後に本音を書いておく。
もうちょっと早く辞めて、株を買っとけばよかったかな。ひょっとしたら日本のウォーレンバフェットになっていたかも!しらんけど。
……いや、あの調子で買っていたら、たぶん弾けた時に全部溶けてる。何も知らんまま建設会社に入ったのが、一番正解やったわ。
あの頃はみんな、この景気が永遠に続くと思っていた。私もそう思っていた。今から見れば笑い話だが、その真ん中にいる時は、誰も気づかないのである。
今日の一句
世はバブル 退職金も 泡と消え
ではまた!
※この記事は昭和末期〜平成初期の個人の回想です。当時の制度や階級の呼称は、現在とは異なる場合があります。


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