今日は文句を書くつもりはない。裕福だとか貧しいだとか、そういううがった話をするつもりもない。
ただ、この仕事を始めてから、淡々と目に入ってくる事実がある。そしてその事実を並べていくと、どうしても最後にひとつの疑問が残る。今日はそれを書く。
地域によって、ゴミはまるで違う
まず事実から書く。地域によって、出てくるゴミはまったく違う。
高台にあるような、いわゆる高級住宅街と呼ばれる地域。ここのゴミは、驚くほどきれいだ。
- きちんと分別されている
- 袋が破れていない
- カラスに荒らされていない
- そして何より、量が少ない
一軒あたりの袋のサイズが、大ではなく中型が多い。家族の多い家はさすがに大きい袋になるが、基本は中サイズである。単純に、出るゴミが少ないのだ。
一方、そうでない地域——集合住宅の集積所などでは、様子がかなり違う。
ほとんどが荒らされている。中身はごちゃまぜで、缶やペットボトルは口も縛られていない。挙げ句の果てに、袋の中でカラスが大暴れしたとしか思えない状態のものもある。
時限爆弾を積む日
もう少し具体的に書く。読んでいて気持ちのいい話ではないので、苦手な方は飛ばしてほしい。
どのような理由、事情かはわからない。ただ、吐いたものが入った袋が、そのまま出ていることがある。おそらくトイレに捨てると流れず詰まるからだろうと思うのだが、ひどい日には10個ほど並んでいる。
こちらはもう、時限爆弾を積むような気持ちで収集車に放り込む。途中で破れたら悲惨などというものではない。非常に緊張しながら作業することになる。
二階から袋を平気で投げ落とす人もいる。頼むから持って降りてきてくれ、とは言えない。それも仕事のうちだからだ。
なぜ差がつくのか
ここが大事なところなので、はっきり書いておく。私はこれを「住んでいる人間の質の差」だとは思っていない。
集合住宅の集積所は、誰が出したものかわからない。共同だから、誰も責任を持たなくていい状態になる。逆に戸建ての多い地域は、その家の前にその家のゴミが出る。誰が出したか一目でわかる。それだけで、人はきちんと出すようになる。
カラス対策のネットにしても、共同だと「誰かがやるだろう」になりやすい。生活のリズムがバラバラで、朝に出せない人が前の晩に出す、という事情もあるだろう。
つまり、差がつくのは仕組みの話だと私は思っている。人が悪いのではない。仕組みがそうさせている。
それでも、こたえること
……と、頭ではそう整理している。整理しているのだが、それでもこたえることがある。
ある地域では、子どもの方から挨拶をしてくれる。こちらが返す前に「おはようございます」と言われる。
別の地域では、こちらから挨拶をしても返ってこない。中には、鼻をつまんで横を向く子もいる。
その瞬間に思う。ああ、この仕事はそう見えているのか、と。
子どもに罪はない。子どもは大人がやっていることを、そのまま映しているだけだ。だからこそ、あれは凹む。
収集車は、行政の車
車に乗っていても同じことを感じる。
狭い道で対向すると、まず譲ってもらえない。こちらは何トンもある車で、相手は軽自動車でも、下がってくれない。すれ違いざまに舌打ちをされることもある。
こちらは大きな音でオルゴールを流している。「今ここで収集車が作業しています」と知らせているのに、平気で突っ込んでこられる。
たぶん、収集車は「行政の車」だと思われているのだ。だから遠慮しなくていい、という感覚があるのだろう。職業柄もう慣れたが、正直に言えば、ちょっと悲しい。
あと、これだけは書かせてほしい。「ゴミ収集車のせいで会社に遅れた」という電話はやめてほしい。あれは本当に、どうしようもないのだ。
それでも、誰かがやらなあかん
さて、冒頭に書いた疑問である。この仕事は下に見られているのか。
正直、わからん。見ている人はちゃんと見ているし、そうでない人もいる。それはどんな仕事でも同じことだろう。
ただ、ひとつだけ確かなことがある。私らが一日休んだら、町は確実に詰まる。
一日で臭いが出る。二日で道が塞がる。三日でカラスが街を占領する。それだけの話である。誰かがやらなあかん仕事を、私はやっている。
人は知らんけど、自分はそれで十分やと思っているしこの先も続けるつもりだ。
ゴミ収集シリーズ
ゴミ収集の一日を、オブラートに包まずに書いてみる
焼き鳥の串だけは、やめてくれ
まだ食べられるのに
ゴミ収集車は、下に見られているのか(この記事)
※この記事は個人の体験にもとづくもので、収集のルールや運用は自治体によって異なります。

コメント