前回の記事では、26歳で建設会社に入り、天井クレーンの運転手として「雲の中の職場」で働いていた話を書いた。高いところは苦手ではなかったし、神経は使うが体は楽な仕事だった。
だが、あの会社にはもう一つ、私が関わっていた仕事がある。それが今回書くタワークレーンの組立てである。天井クレーンの操縦が「慣れれば怖くない」仕事だとすれば、タワークレーンの組立ては「何度やっても怖い」仕事だった。命懸けと言っていい。
今日はその話を書いていく。読んでいて肝が冷えたら、それはたぶん正しい反応である。
タワークレーンとは、そもそも何なのか
タワークレーンというのは、街中でよく見かける、高層ビルの建設現場にそびえ立っているあの巨大なクレーンのことだ。名前の通り「タワー(塔)」の形をしている。地上から何十メートル、時には百メートル以上の高さまで伸びる。
あれは元から高いのではなく、自力で高くなっていくのをご存じだろうか。建物が階を重ねるごとに、クレーンも一緒に上へ上へと伸びていく。あの仕組みを支えているのが、私たち組立て作業員の仕事だった。
マスト(柱)を組んで、その上にクレーンを乗せる
タワークレーンの組立ては、まずマストと呼ばれる柱を組むところから始まる。太い鉄骨で作られた四角い柱状の構造物で、これを継ぎ足しながら上に伸ばしていく。
マストの上に、クレーン本体をポンと乗せる。そこから先が面白いところで、クレーン自体が油圧の力を使って自分の下にマストを1本ずつ「挟み込む」ようにして、少しずつ上に上がっていくのだ。つまり、クレーンは自分で自分の背を高くしていく。よくできた仕組みだと感心する。
だが、この組立て作業がとにかく体力仕事なのだ。天井クレーンの運転が「座って神経を使う仕事」なら、タワークレーンの組立ては「全身を使って命を張る仕事」である。同じ会社の同じ現場でも、これほど性質の違う仕事があるのかと驚いた。
巨大なボルトを、ハンマーで叩いて締める
マストを組む時、各パーツを繋ぐのは巨大なボルトである。ネジ穴に差し込んで、最後にハンマーで叩いて固定する。この「叩く」作業が、実は一番危険だった。
ハンマーと言っても、家庭にあるような小さなものではない。両手で振り回すレベルの大型ハンマーだ。これを高所で、鉄骨の上に立って振り下ろす。想像しただけで恐ろしいが、実際にやるともっと恐ろしい。
基本的な安全対策として、ハンマーの柄には紐が付いていて、それを手首にぐるぐる巻きにしてから叩く。野球のバットが飛んでいかないようにするのと同じ発想である。もしハンマーがすっぽ抜けても、手首に繋がっていれば下に落ちない。落下すれば下の作業員を直撃して大惨事だ。
真夏、握力が消えていく現場
問題は、この作業が真夏でも容赦なく行われることだった。炎天下、鉄骨の上、大型ハンマーを何度も振り下ろす。当然、体力を消耗する。そしてもっと消耗するのが握力だ。
ハンマーを叩き続けていると、握る力がどんどん抜けていく。最初はしっかり握っていても、30分も叩き続けると指先の感覚が怪しくなる。だから作業員同士で交代しながら叩くのだが、それでも間に合わない時がある。
力自慢の兄貴分がいた。体格がよく、腕っぷしも強く、頼りになる人物だった。だがある日、その兄貴分が真夏の現場でハンマーを振り下ろした瞬間——ハンマーが手からすっぽ抜けて、遥か下へ飛んでいったのを私は見た。
幸い、手首の紐が効いて、途中で止まった。ヒヤリではあったが、下に落ちる前に紐で止まってくれた。もし紐を巻き忘れていたら——考えたくもない事故になっていただろう。
それ以来、私は「握力が消える」という言葉の意味を、身をもって理解した。力の強い人ほど、疲労した時の脱力もまた大きい。あれは体力の問題ではなく、継続的な負荷に対する筋肉の限界なのだと思う。
月に一度の「肝試し」——先端カメラの掃除
もう一つ、タワークレーンで恐ろしかった仕事がある。それが先端カメラの掃除である。
前回の記事で、天井クレーンには先端に高性能な望遠カメラがついていて、それを使って下の作業員を確認するという話を書いた。タワークレーンにも同じような仕組みがあって、長いアーム(ジブと呼ぶ)の先端にカメラが取り付けられている。
このカメラ、屋外にあるので当然汚れる。雨風にさらされ、ホコリがつき、そのうち映像が曇ってくる。すると誰かがアームの上を歩いて、先端まで行って掃除しないといけない。月に一度、必ずその作業がある。
中国の透明な橋、あれと同じ感覚
YouTubeやSNSで、中国の観光地にある「透明な床の橋」を見たことがある人は多いと思う。ガラス張りの通路で、下が丸見えのやつだ。高いところが平気な人でも、あれは怖いという。
タワークレーンのアームの上を歩くのは、まさにあれと同じ感覚である。足元は鉄骨の格子状で、下がスカスカに見える。しかも「透明な床」どころか、実際に何もない。落ちたら終わりだ。安全帯(命綱)は付けているが、それでも精神的な圧はすさまじい。
普段、高いところが平気だと自負している私でも、アームの先端まで行くのは毎回怖かった。慣れない。何度やっても慣れない。だからこの月イチ作業のことを、私たちは「肝試し」と呼んでいた。
順番が回ってくると、前の日から気が重い。当日、朝起きて空を見て「風がなくてよかった」と胸を撫で下ろす。風があれば、アームの上を歩くどころではない。あれは本当に、精神的に消耗する仕事だった。
それでも、面白い仕事ではあった
怖い話ばかり書いてきたが、タワークレーンの組立ては面白い仕事でもあった。自分たちが組んだクレーンが、街の中でグングン背を伸ばしていく。そのクレーンが、やがて何十階建てのビルを建てる主役になる。
「あのビル、俺たちが組んだクレーンで建ってるんだぞ」——現場が終わって完成した建物を見上げる時の達成感は、なかなか他の仕事では味わえないものだった。危険と隣り合わせだからこそ、終わった時の充実感も大きかったのだと思う。
体力的にはきつかった。給料は良かったが、それに見合うだけの疲労が毎日残った。若かったからできた仕事だ。今の私に「またやれ」と言われても、丁重にお断りするだろう。
次回は、あの時代の建設現場の「空気」について
ここまで、天井クレーンの操縦(第1話)、タワークレーンの組立て(今回)と、仕事の内容について書いてきた。だがこのシリーズで本当に書きたかったのは、実は作業そのものではない。あの時代の建設現場に流れていた、独特の「空気」のほうである。
次回はその話を書こうと思う。昼食と一緒にビールを飲んでから午後の仕事に戻るのが当たり前だった時代。半年に一度の宴会で、酒が入ったガテン系の人たちが本気の喧嘩を始めた話。真夏でも長袖の職人たちがいた理由。今から思えば、あれは昭和の匂いが最後まで色濃く残っていた世界だった。
今の建設現場では、絶対に見られない光景である。私が体験できたのは、本当にギリギリのタイミングだったのだと思う。
次回、シリーズ最終話。お楽しみに。

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