今日は「仕事」じゃなく「空気」の話をする

シリーズもいよいよ最終話である。第1話では天井クレーンの世界を、第2話ではタワークレーン組立ての命懸けな話を書いた。だが本当に書きたかったのは、実はここからである。

今日は仕事の内容ではなく、あの時代の建設現場に流れていた「空気」について書く。今の若い人が読んだら「本当ですか?」と疑うような話が続くと思う。だが全部本当である。私が20代後半、確か平成の初期あたり、日本の建設現場には昭和の匂いがまだ色濃く残っていた。

昼飯とビール、そして30分の昼寝

まず、今の常識では絶対に信じられない話から始めよう。当時、昼食と一緒にビールを飲むのは「当たり前」だった

お昼になると、みんな作業を止めて休憩に入る。食堂や休憩所に集まって弁当を広げる。そこで職人たちが取り出すのが、ビールの缶である。人によっては焼酎の水割りだったり、日本酒だったりもした。

誰も咎めない。親方も一緒に飲んでいる。飲んだら30分ほど横になって昼寝をして、それから午後の仕事に戻る。これが日常の風景だった。

もちろん、今の感覚で言えば大問題である。飲酒運転どころの話ではなく、飲酒しての高所作業、飲酒しての重機操縦——安全管理の観点から見れば、狂気の沙汰だ。だが当時はそれが「普通」だった。事故がなかったわけではないが、それでも回っていた。時代がそういう時代だったのだと思う。

私自身も、周りに合わせて多少は飲んでいた。今考えれば、若かったから体が持ったのだろう。あんな飲み方を続けていたら、痛風になるのも当然である。だがそれはまた別の話だ。

真夏でも長袖の職人たち

建設現場には、いろんな職人がいた。型枠大工、左官屋、鉄筋屋、鳶職。それぞれ専門の技能を持った職人集団である。腕は確かで、仕事の質も高い。

ただ、彼らには一つ特徴があった。真夏の炎天下でも、長袖のシャツを着ている人が多かったのである。

なぜ長袖なのか。理由はご想像の通りである。腕を見せられない「事情」を抱えた人が、当時の建設現場には少なからずいた。今のようにコンプライアンスがどうこうと騒がれる時代ではない。仕事さえきちんとできれば、過去は問われなかった。

だから真夏の40度近い現場でも、彼らは頑なに長袖を着続けていた。汗だくになりながら、それでも脱がない。その姿を見た時、私は「ああ、この人はそういう人なんだな」と黙って理解した。

昔やんちゃ、今は職人として真面目

ただ、面白いのはここからである。そういう「事情」のある人たちが、実は仕事に関しては誰よりも真面目だったのだ。

朝は誰よりも早く現場に来て、道具を並べる。作業中は無駄口を叩かず、黙々と手を動かす。若い作業員が失敗しても、頭ごなしに怒鳴るのではなく、正しいやり方を淡々と教えてくれる。「昔はやんちゃしてたのかもしれないが、今は職人だ」——そう本人たちが決めているような、静かな覚悟が伝わってきた。

もちろん、普段はガラッパチで言葉遣いも荒い。若造だった私は、最初のうちはビビりながら仕事をしていた。だが慣れてくると、その荒っぽさの下に、意外と面倒見の良い人柄が隠れていることが分かってくる。差し入れをくれたり、疲れているときには「今日は俺がやっとくから、休んどけ」と声をかけてくれたり。表面と中身のギャップが、あの時代の職人の魅力だったと思う。

半年に一度の宴会、そして必ず勃発する喧嘩

現場には、定期的に「宴会」があった。三ヶ月に一度、あるいは半年に一度、現場の区切りや慰労を兼ねて、みんなで酒を飲む機会がある。会場は現場近くの居酒屋だったり、時には現場の休憩所だったりもした。

そこで何が起きるかというと——ほぼ確実に喧嘩が始まるのである。

普段は仕事仲間として折り合いをつけている人たちも、酒が入ると本音が出る。「あの時、お前あんなこと言っただろう」「そっちこそ、あの現場で俺のこと馬鹿にしただろう」——ちょっとしたきっかけから声が大きくなり、気がつくと胸ぐらを掴み合っている。

本気の喧嘩だ。テーブルが倒れ、皿が飛び、椅子が転がる。周りの人たちが慌てて止めに入る。止めに入った人が巻き込まれて、また新しい喧嘩が始まる。まるで西部劇の酒場のような光景である。

これが半年に一度、ほぼ確実に起きていた。だから宴会は楽しみでもあり、憂鬱でもあった。「今回は誰と誰がやらかすかな」と、内心で予想しながら参加していたのを覚えている。

マサキ流「端の方で飲む」処世術

私はこの宴会の空気が、正直に言うと苦手だった。若かったし、体力もあったから、喧嘩に巻き込まれて負けるわけではない。だが面倒くさかったのだ。

だから宴会が始まると、私は決まって端の方の席に陣取って、静かに飲むようにしていた。中心にいると、あちこちから声をかけられて、飲み比べだの武勇伝の聞き役だのに引き込まれる。それが嫌だった。

端で黙って飲んでいれば、誰も絡んでこない。そして喧嘩が始まったら、そっと席を立って、少し離れたところから眺める。「今回は激しいな」「そろそろ止まりそうだな」と、他人事のように観察していた。

これは自衛隊時代に身につけた処世術かもしれない。面倒ごとには関わらず、しかし孤立もしない。適切な距離を保って、その場をやり過ごす。今考えれば、あれは若造なりに編み出したサバイバル術だったのだと思う。

あの時代は、最後の昭和だった

ここまで書いてきた話——昼からビール、真夏の長袖、宴会での喧嘩——これは全部、今の建設現場では絶対にありえない光景である。

今の現場は、飲酒は厳禁、安全管理は徹底、コンプライアンス遵守。過去に「事情」のあった人は、そもそも大きな現場には入れない。宴会があっても、酒の量は控えめで、喧嘩なんて起きようものなら即座に処分だ。それが正しい姿だし、そうあるべきだと思う。

だが、私が体験したあの時代の現場には、良くも悪くも「人間くささ」があった。粗野で、乱暴で、時に危険だったが、その分だけ人と人の距離が近かった。昼から酒を飲みながら愚痴を言い合った同僚、真夏でも長袖で黙々と働いた職人、宴会で殴り合った後に翌日は普通に仕事していた先輩たち。あの人たちの顔を、私は今でも覚えている。

あの空気は、平成が進むにつれてだんだん薄まっていった。そして今は、完全に消えた。私が体験したのは、日本の建設現場に昭和が残っていた最後の時代だったのだと思う。

シリーズを終えて

3回にわたって、建設会社時代の話を書いてきた。第1話で天井クレーン、第2話でタワークレーン組立て、そして今回はあの時代の空気について。

あの会社は、シリーズの中でも触れた通り、後に戦後最大の負債を抱えて倒産した。私はそれ以前に別の道に進んでいたので、直接その渦中にはいなかったが、ニュースで会社の名前を見た時は複雑な気持ちになった。あの現場で汗を流した日々は、確かに私の中に残っている。

26歳、免許だけを持って飛び込んだ世界。雲の中の職場、命懸けの組立て、そして昭和の空気。振り返れば、あの数年間は私の人生の中でも特別な時期だった。

また別のテーマで、思い出せる話があれば書いていこうと思う。それではまた次回。

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