今日は少し軽い話をしようと思う。私が現役の自衛官だった頃——ちょうど1980年代後半のことである。あの時代の若い自衛官には、実はある「共通の憧れ」があった。それは戦争映画だ。
「プラトーン」「7月4日に生まれて」「フルメタル・ジャケット」——名作と呼ばれるベトナム戦争ものの映画が、次々と公開されていた時期だった。私たちはそれを食い入るように観て、そして真似をした。今から思えば恥ずかしいが、当時は本気だった。今日はその話を書いてみようと思う。
チャーリー・シーンが、神だった
特に影響が大きかったのが、オリバー・ストーン監督の「プラトーン」である。主演はチャーリー・シーン。今の若い人には「あの、いろいろあった俳優」というイメージしかないかもしれないが、当時の彼はまさに神だった。
ベトナムの戦場で、泥にまみれ、恐怖と怒りに揺れながらも兵士として成長していく若い主人公。あの姿に、私たち若い自衛官はガッツリ感情移入した。「あれは俺だ」——本気でそう思っていた。実際にはベトナムの戦場に立ったこともないくせに、である。
映画館を出た時の高揚感は、今でも覚えている。同期と一緒に観に行って、帰り道はずっと「あのシーンがどうだ」「あのセリフがどうだ」と語り合った。若かった。
鉄パチのゴムバンドに、マルボロを挟む
プラトーンの登場人物たちが、実にカッコいい所作をしていた。鉄兜に巻いたゴムバンドに、マルボロの箱を挟んで持ち歩くのである。タバコを胸ポケットから出すのではなく、頭の上から取り出す。あの動きが、たまらなく格好良く見えた。
ちなみに私たちの間では、鉄兜のことを「鉄パチ」と呼んでいた。プラスチックのヘルメットの上にかぶせる、本物の鉄でできたヘルメットである。訓練で使うのはこの鉄パチだ。
映画を観た翌週から、中隊の若い連中の鉄パチには、次々とゴムバンドが巻かれた。そこに挟むのはもちろんマルボロ。他のタバコではダメだ。プラトーンの兵士たちが吸っていたのはマルボロなのだから、真似するならマルボロでなければならない。
そしてタバコを吸う時は、胸ポケットからではなく、頭の上から取り出す。「ここぞ」という場面で、鉄パチのバンドからスッとマルボロを抜き取って、口にくわえる。あの所作を決めた時の自己陶酔感といったら、他に例えようがない。
Zippoライター一択、100円ライターは絶滅した
タバコに火をつけるライターも、こだわりがあった。当然、Zippoライターである。
プラトーンの中で、兵士たちがZippoでタバコに火をつけるシーンがある。あのカチッという開閉音、金属の重厚感、風にも消えない安定した炎——全部が格好良かった。だから若い自衛官の間では、100円ライターを使うことはダサいとされていた。みんなが競うようにZippoを手に入れた。
だが、このZippo信仰が、演習で問題を起こす。
「音を出すな、火が大きいんじゃ!」
演習中、夜間に隊員がタバコを吸おうとする。カバンからZippoを取り出して、蓋を開ける——ここで「カチッ」という、あの独特の金属音が鳴る。
静寂の中、この音は驚くほど響く。そして着火すれば、Zippoの炎は100円ライターより大きい。夜間の演習では、光は敵に位置を知らせる目印になる。
結果、上の階級の人からこっぴどく叱られる。
「お前ら、音を出すな!それに火が大きいんじゃ!100円ライターにせえ!」
それでも私たちはZippoをやめなかった。叱られても、翌日にはまた同じことを繰り返す。若さというのは、時にそういう非合理な行動を取らせるものである。プラトーンのカッコよさの前では、上官の説教も霞んで見えた。
ちなみに、私たちの銃の安全装置は「あ・た・れ」だった
ここで少し脱線して、当時の装備の話もしておこう。
私が使っていた小銃には、他のあらゆる銃と同じく安全装置がついていた。「安全」「単発」「連発」を切り替えるスイッチである。
私はもともと銃器に興味があって、モデルガンをいくつか持っていた。だから海外の銃の表記には慣れていた。M16なら「SAFE」「SEMI」「AUTO」。全部英語表記だ。
ところが、自衛隊の小銃の表記は違った。ひらがなで「あ」「た」「れ」と書いてある。
初めて見た時、私は困惑した。「あ?た?れ?何だこれは?」と。すぐに教官が説明してくれた。「『あ』は安全、『た』は単発、『れ』は連発だ」と。
説明されれば分かる。だが、なぜひらがなにしたのだろう。「SAFE / SEMI / AUTO」の方がずっと格好いいのに——プラトーンで感化されていた私は、そう思った。
「あ・た・れ」を考えた人は、ガッツポーズしたに違いない
だが、今この年になって考え直してみると、「あ・た・れ」というネーミングは、実は絶妙だったのかもしれないと思う。
大喜利で「安全、単発、連発を、それぞれ一文字のひらがなで表現しろ」と言われたら、なかなか難しい。「安全」の頭文字だから「あ」——これはいい。「単発」も「た」でいい。だが「連発」を「れ」にするのが、実は絶妙なのだ。「連」の頭文字ではなく、「連発」全体を頭に「れんぱつ」と読ませて、その「れ」を取っている。
これを考えた人は、思いついた瞬間にガッツポーズしたに違いない。「よし、この三文字で全部いける!」と。私も今なら、そのセンスを認めたいと思う。
他国の銃が英語表記でカッコよさを追求している中、日本の自衛隊はひらがな三文字で機能を伝える。これはこれで、日本人らしい合理性だと思う。ちなみに幹部が持つ拳銃も、もしかしたら「あ・た・れ」だったのかもしれない。当時の私は幹部の拳銃を間近で見る機会がなかったので、確認できていないのだが。
ジャッキーの店で、モデルガンのキーホルダー
装備品つながりでもう一つ思い出した。自衛隊の駐屯地の中には、隊員向けの売店がある。そこでは装備品のミニチュアや、モデルガンのキーホルダーが売られていた。
私はそういうものが大好きで、いくつか買った。買ったキーホルダーを、ネックレスに付けて胸から下げている隊員もいた。今考えるとかなり微妙なファッションだが、当時は「らしくて格好いい」とされていた。何度も言うが、若かった。
あの頃の若い自衛官は、みんな映画の主人公になりたかった
今こうして振り返ってみると、私たちがやっていたことは全部、映画の主人公になりたかった若者の憧れだったのだと思う。
本物のベトナム戦争を戦った兵士たちは、あんな所作を「格好いい」と思ってやっていたわけではないだろう。生きるか死ぬかの現場で、たまたま合理的だったからマルボロを鉄兜に挟んでいただけかもしれない。Zippoを使っていたのも、単純に手に入りやすかったからかもしれない。
だが私たちは、その一つ一つを「戦場の兵士のスタイル」として神格化して、日本の演習場で真似をしていた。本物の戦場を知らないからこそ、映画の中の兵士に憧れられたのだと思う。今の私が現役だった頃の自分を見たら、「お前ら、平和だな」と苦笑するだろう。
だが、あの頃の高揚感は本物だった。同期と映画を観て、真似をして、上官に叱られて、それでもまた真似をする。あの若さ、あの空気は、二度と戻ってこない。
チャーリー・シーンも、あれからいろいろあって、今は当時とは違う姿になっている。私も同じである。歳を取った。だがあの頃の私たちが夢中で観たプラトーンは、今も名作として残っている。それだけで、なんとなく救われる気がする。
それではまた、次回。

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