自衛隊の話というと銃や演習のことばかり聞かれるが、実は一番濃いのは「私生活」の方だと思っている。今回は営内(駐屯地の中の生活)の話をする。若い野郎どもを一つ屋根の下に集めるとどうなるか、という話でもある。
まず坊主にされる
入隊して一番嫌だったのは、坊主にされることだった。確か3ミリである。入隊してすぐ、問答無用でまる坊主だ。
もともと帰宅部で、髪型にさほど興味がある方でもなかった。それでも、いざ坊主となったらすごい抵抗があった。あのとき初めて、高校球児の気持ちがわかった。刈りたての頭は、風が通るたびに妙に寂しいのである。
アイロンがけ1時間の世界
最初にやらされるのは、身の回りの世話だ。アイロンがけ、靴磨き、ベッドメイク。この3つを徹底的に仕込まれる。
アイロンがけは、折り目が命である。霧吹きでシュッシュッなんて生易しいものではない。バケツに水を汲み、指をつっこんでビシャビシャッとはじきかけ、ほぼ湿った状態の服に熱々のアイロンを当てる。折り目が刃物のようになるまでやらないと怒られるのだ。
慣れないうちは、制服の上下だけで1時間かかった。しかも自分ではビシッと仕上げたつもりでも、線が二重になっていたりする。それでめちゃくちゃ怒られた。たかが折り目が二重なだけやで?と当時は思ったが、まあそれも訓練の一環である。
この頃に叩き込まれた体づくりの話は、夏バテの記事にも書いた。
つま先だけキラキラの靴磨き
靴磨きにも流儀があった。先っぽだけ、靴墨を何十回も塗り重ねるのである。
ただ塗るだけではない。ここにも水が要る。ちょっと水をつけては、靴墨を薄く薄く乗せていく。何重にも重ねると、つま先が鏡みたいにキラキラになるのだ。今でいう「鏡面磨き」というやつで、革靴好きの間では高等技術らしい。俺たちは18やそこらで叩き込まれていた。アイロン1時間、靴磨き1時間。毎日それくらいやらされていた。
ベッドは豆腐の角
ベッドメイクにもちゃんと順序があって、マットレス・シーツ・毛布の順で中にきれいに折込まないといけない。仕上がりの基準はただひとつ。「シーツや毛布にアイロンをかけたのか?」というくらいの折り目である。角は豆腐の角のようにビシッと!なっていなければ、また怒られる。
朝の点呼は戦争である
ここからが本題のいたずらの話だ。教育隊は年齢が近い者ばかりだから、とにかくいたずらが多い。
朝は起床ラッパが鳴ったら運動場に集合して点呼である。ところが班対抗になっていて、一番最後に揃った班は腕立て30回やらされる。だからラッパが鳴った瞬間、みんな必死で階段を駆け下りる。
ここで白状しておくと、私は前の晩から服を着たまま寝ていた。起きてから着るという工程を、寝る前に済ませておくのである。ズルいと言うなかれ。どう回れば最速で終わるかを考えるのは、今も昔も変わらない私の性分だ。それくらい、みんな必死だったのである。
靴ひも結ばれ事件
そこで、とんでもないいたずらをするやつがいる。
朝履いていく半長靴はベッドの下に並べてあるのだが、夜のうちに、左右の靴ひもを結んでおくのである。
寝起きにこれをやられるとパニックだ。履けない、足はもつれる、どうしようもない。案の定その人のせいで班は遅れ、全員腕立てである。教官の機嫌のいい日で30回。機嫌が悪ければさらに10回!そこに「今日は◯◯くんのためにもう10回!」が乗って、結局50回。悲惨ですよ、ほんま。
ちなみに、やったのは私ではない。断じて違う。やった連中も後からみんな「ごめんなさい」と謝りに来る、その程度の可愛げはみんなあった。あと、このいたずらはシャレの通じる相手にしかやらない。そのへんの見極めだけは、みんな妙に上手かった。
背嚢に鉄アレイとクマのぬいぐるみ
行軍のときの話もある。なぜかやけに足取りの重いやつがいる。休憩のときに「背嚢(はいのう)がやけに重くて疲れるんだよなあ」と言うので、みんなニヤニヤしながら中を見てみたら――鉄アレイと、なぜかクマのぬいぐるみが入っていた。
バカでしょうw 誰かが夜のうちに詰め込んだのである。いたずらまで体力バカなのだ。鉄アレイはわかるが、クマのぬいぐるみって何やねん!それにどっから持ってきたんや!そのセンスだけは今でも謎である。
メガネ隠しなんかは日常茶飯事で、ひどいときは中隊長室に置かれていたこともあった。教官よりさらに上の人の部屋である。見つけに行く方の身にもなってほしい。
しんどいことを、みんなでやる
本当にバカばっかりだった。だが、あれはあれで面白い世界だった。
野郎ばかりで、やることは全部しんどい。でも、しんどいことをみんなでやると、信じられないような協調性というか、連帯感みたいなものが生まれてくる。あの頃の同期と流した汗と涙は、40年経っても腐らない。
それにしても、あれだけ嫌だった3ミリの坊主頭。60を過ぎた今、放っておいても頭が勝手にあの頃に近づいていっているの気のせいだろうか?
※この記事は昭和末期の勤務経験にもとづく個人の回想です。現在の教育・運用とは異なる場合があります。


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