自衛隊の演習では、時々説明のつかないことが起きる

今日は少し不思議な話をしようと思う。前回の記事で自衛隊時代の話を書いたが、思い出しているうちに「そういえばあんなこともあったな」というエピソードがいくつか浮かんできた。

特に演習で山に入った時の話は、今振り返っても不思議に思うことがある。オカルトの類ではない。だが理屈で説明のつかない出来事は、確かにあった。今日はそういう話をいくつか書いてみたい。

中隊全員が「その道は嫌だ」と感じた竹やぶ

最初に書きたいのが、今でも不思議で仕方ない出来事である。

自衛隊の演習では、地図と磁石を持ってA地点からB地点まで移動する、という任務がよくある。だいたい夕方から夜にかけて、決められたコースを進んでいく。私が所属していた中隊は、通常4つの小隊で構成されていた。

その日、私の小隊は最初に出発する順番だった。私はいわゆる「先頭」で歩いていた。A地点からB地点までの中間地点あたりに差し掛かった時のことである。

目の前に、竹やぶと雑木林の間を抜ける、獣道のような細い道が現れた。地図で見ても、そこを抜けるのが明らかに一番の近道だった。時間的にも、体力的にも、その道を選ぶのが合理的である。

ところが——私は、その道を通りたくないと強く感じた

理由は自分でも分からない。見た感じ何かがあるわけでもない。危険な兆候もない。ただ、なぜか嫌だったのだ。「ここを通ってはいけない」という感覚が、体の奥から突き上げてくるようだった。

後ろの隊員も「俺も嫌だ」と言った

私は少し戦闘に慣れていて、こういう「勘」を無視しない性格だった。とはいえ、勝手にコースを変更するわけにはいかない。後ろに続く隊員たちにも影響が出る。

私は後ろを歩いていた隊員に、小声で聞いてみた。

「なあ、この道通りたくないんやけど、お前どう思う?」

すると、彼はこう答えた。

「いや、俺も行きたくない。理由は分からんけど、なんか嫌や」

私はさらに後ろの隊員にも聞いた。同じ答えだった。もう一人聞いてみても、やはり同じ。小隊のほとんどが、その道を通りたくないと感じていた

「この道が近道で、時間が遅れる」——分かっていた。それでも私は決断した。迂回しよう、と。多少時間はかかっても、別の道を通ってB地点を目指すことにした。

B地点で待っていた、もっと不思議な話

私の小隊は遠回りをして、B地点にたどり着いた。予定より少し時間はかかったが、無事に任務は完了した。

問題はここからである。私たちの後から出発した、他の3つの小隊。彼らは私たちよりも当然、近道を通ってくるはずだった。時間差を考えれば、私たちより早く着いてもおかしくない。

ところが、他の小隊もなかなか到着しない。ようやく全員が揃った時、私は他の小隊の先頭を歩いていた隊員たちに聞いてみた。

「なあ、もうちょっと早く着くと思ってたんだけど、時間かかったな。なんで?」

彼らの答えは、私を凍りつかせた。

「いや、途中の近道な、なんかすごく嫌でな。理由は分からんけど、遠回りしてきた」

4つの小隊全部が、あの竹やぶの近道を避けて、迂回してきていたのである。

あの道には、何があったのか

この体験は、今でも不思議で仕方ない。

一人や二人が「なんとなく嫌だ」と感じるのなら、まだ分かる。虫の知らせ、第六感、そういう言葉で片付けられるかもしれない。だが中隊のほぼ全員が、同じ道を同じように「嫌だ」と感じた——これはさすがに偶然では説明がつかない。

あの道には何があったのだろうか。今でも時々考える。動物の匂い?磁場の乱れ?あるいはもっと別の何か?正解はきっと永遠に分からない。だがあの時、私たち全員が感じた「行きたくない」という感覚は、確かに本物だった。

人間の集団的な直感というのは、時に理屈を超えた精度を持つのかもしれない。あるいは山という場所には、私たちの理性では捉えきれない何かが、確かに存在するのかもしれない。

野営地を襲った「大きな足跡」

山での演習では、他にも忘れられない出来事があった。

ある時、山の奥深くでテントを張って野営していた。数日間そこに滞在する予定だったので、食事の残飯を処理する場所を、野営地から少し離れた所に決めていた。

朝、残飯を捨てに行った隊員が戻ってきて、こう言った。

「なんか、残飯がすごく荒らされてた」

その時は「動物か何かが漁ったんだろう」ということで、大して気にしなかった。山の中では珍しい話ではない。

だが、演習の最終日、残飯処理場を完全に埋めて撤収する時のことである。作業していた隊員の一人が、大声を上げた。

「おい、これ見てくれ!」

そこには、地面にくっきりと残された大きな足跡があった。誰かがボソッと言った。

「これ、ひょっとして……熊じゃないか?」

その一言で、中隊全体がざわついた。あの残飯を荒らしていたのは、動物どころではなく、熊だったかもしれない。数日間、私たちは熊の生活圏のすぐそばで寝起きしていたことになる。

幸い、直接の遭遇はなかった。だがもし夜中に熊が野営地まで来ていたら、と考えると背筋が寒くなる。山の中では、こういうことが日常的に起こり得る。

3日目の行水を、上からシカが覗いていた

もう一つ、こちらは少し笑える話である。

山の演習では、当然のように風呂には入れない。3日、4日と過ぎるうちに、全員が汗と土埃で相当に臭くなる。自分でも自分の匂いが分かるレベルだ。

ある日、休憩の合間に、少し下ったところに小さな沢を見つけた。冷たい水が流れている。私たちは「よし、行水しよう」と何人かで下りていって、上半身裸になって水を浴びた。

数日ぶりに肌に水がかかった時の、あの気持ちよさは今でも忘れられない。「生き返る」というのはこういうことか、と本気で思った。

ふと視線を感じて、上を見上げた。斜面の上から、シカが一頭、じっとこちらを見ていた

何を考えていたのか分からない。「あいつら何やってるんだ」と思っていたのかもしれない。あるいは、変な匂いのする生き物が水浴びしているのを、単純に不思議に思って観察していたのかもしれない。

目が合ったまま、しばらく動かなかった。私たちも動かなかった。数十秒後、シカはふいと目をそらして、森の奥に消えていった。

山の中では、こうして人間と動物の距離が近くなる。街では絶対に見られない光景である。

虫、蛇、そしてキラキラした目のレンジャー出身者

山の演習で困るのは、動物よりもむしろである。

蚊は数え切れないほど襲ってくる。刺される、噛まれる、また刺される。防虫スプレーなど焼け石に水である。夜になると、蚊の羽音が耳元でずっと鳴り続ける。あれで眠るのは至難の業だった。

ハチも至る所にいる。うっかり巣に近づけば大惨事だ。実際、ハチに刺されて医務室に運ばれた隊員も何人か見た。山の中で刺されると、蕁麻疹どころでは済まないことがある。

そして、蛇。これが出ると中隊全体がざわつく。ほとんどの隊員は「勘弁してくれ」と顔をしかめるのだが、一部の例外がいた。レンジャー出身の先輩たちである。

彼らは蛇を見つけると、目をキラキラさせる。「食えるかどうか」を真剣に見極めているのだ。レンジャーの訓練では、生きるためにあらゆるものを食べる技術を学ぶ。だから蛇は「食料」に見えるらしい。

私たち一般隊員が「うわっ、蛇や!」と後ずさりしている横で、レンジャー出身者だけは前のめりになっている。あの光景はなかなかシュールだった。「先輩、食うんですか?」と聞くと、真顔で「食えるぞ、うまいぞ」と答える。私は遠慮した。

山という場所の、独特の存在感

こうして書き出してみると、山の中というのは独特の存在感を持った場所だと改めて思う。

街にいれば忘れがちだが、山にはたくさんの生き物がいて、たくさんの気配があって、私たち人間の理性では捉えきれない何かも、確かに存在する。あの竹やぶの話も、熊の足跡も、シカの視線も、全部そういう「山の存在感」の一部だったのだと思う。

今の私はもう、あの頃のように山の奥深くで何日も過ごすことはない。腰も傷めているし、体力もない。だがあの時に体験した「山の中の空気」は、今でも私の記憶にはっきりと残っている。

あの竹やぶには、今でも何かがあるのだろうか。あそこを通らなくてよかったのだと、時々思う。それではまた、次回。

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