今日から新しいシリーズを始めようと思う。テーマは「自衛隊を出た後、私が建設現場で働いていた時代の話」である。今の若い人には想像もつかないような、昭和の匂いが色濃く残る時代の話だ。書けることも、書けないこともあるが、思い出せる範囲で綴っていきたい。
私が自衛隊を除隊したのは20代半ば、確か26歳か27歳の頃だった。6年勤めた後の再出発である。手に職と呼べるものは何もなかったが、一つだけ武器があった。それは——自衛隊時代に取りまくった各種の免許である。
大型自動車、けん引、危険物、移動式クレーン、玉掛け……とにかく取れるものは片っ端から取っていた。当時の自衛隊は、こういう技能免許を隊員に取らせる制度が充実していて、時間さえ作れば色々な資格が取れた。「これは将来、絶対に役に立つ」と、周りの先輩に言われるがままに取っていったのを覚えている。
その先輩たちの言葉は、本当だった。除隊後、私はとある建設会社に就職した。面接で免許の一覧を見せた瞬間、担当者の目の色が変わったのを今でも覚えている。「君、明日から現場に来られる?」——それが面接の最後の言葉だった。
「お前、これ乗れるだろ」で始まった現場人生
入社してすぐ、私は現場に投入された。正確には現場で施工管理をやるようなポジションではなく、実際に体を動かす作業員としての配属だった。若かったし、体力には自信があった。むしろその方が性に合っていた。
最初に回された現場は資材関係の仕事だった。倉庫や搬入場で、資材を運んだり整理したりする役目である。そこで先輩に言われた一言が忘れられない。
「お前、大型持ってるんだよな。じゃあクレーン乗れるだろ。ちょっと乗ってみろ」
いや、乗れるは乗れるんですけど——と口に出しかけて、私は言葉を飲み込んだ。ここで大事なことを説明しておかなければならない。クレーンには大きく分けて2種類あるのだ。
移動式クレーンと固定式クレーン、似て非なる世界
私が自衛隊で取ったのは「移動式クレーン」の免許だった。これはトラックの荷台にクレーンが積んであるタイプで、車を運転して現場まで行き、そこでアウトリガーを張り出してクレーンとして使う。自衛隊では物資輸送などで頻繁に使うので、この免許を持っている隊員は多い。
一方、建設現場で必要になったのは「固定式クレーン」——いわゆる天井クレーンと呼ばれるものだった。ビルの高層階や港湾の船舶などに設置されていて、荷物の積み下ろしをする、あの巨大な機械である。
実は学科で勉強した時に「そういえば、2種類あるって書いてあったな」と朧げに覚えていた。だが実際にどう違うのか、現場に入るまで実感していなかったのだ。
「じゃあ会社で天井クレーンの免許取らせるから、講習行ってこい」——そう言われて、私は改めて固定式クレーンの資格を取りに行った。会社が費用を出してくれるという、今考えれば非常にありがたい話である。こうして私は、正式に「天井クレーンの運転手」になった。
雲の中に、私の職場があった
天井クレーンの仕事場は、とにかく高い。ビルの最上階のさらに上、あるいは工場の天井近く。そこまで自分の足で、梯子を登って行くのだ。
朝、現場に着いて梯子を登り始める。一段一段上がっていくと、下の景色がどんどん小さくなる。最上階にたどり着いてクレーンの運転席に座ると、そこはもう「別の世界」だった。
特に冬場や梅雨時の朝、忘れられない光景がある。運転席から下を見下ろすと、眼下に雲が浮いているのだ。自分は雲の上、下の作業員たちは雲の下。「俺の職場、雲の中じゃないか」と、初めて気づいた時は本当に驚いた。天気予報でしか聞かない「雲の高さ」を、私は日常的に体験することになった。
高いところは、幸い私は苦手ではなかった。というより、慣れれば意外と平気になる。人間、何にでも順応する生き物である。ただし——後述するタワークレーン組立ての話になると、この「慣れ」も通用しない世界が出てくるのだが、それはまた別の機会に書こうと思う。
望遠カメラと無線で操る、繊細な仕事
天井クレーンの仕事で驚いたのは、その操縦の仕方である。高いところから吊り荷を下ろすわけだが、下の状況が肉眼で見えるわけがない。人間はアリより小さく見える距離だ。
ではどうするか。クレーンのアーム先端に、高性能な望遠カメラが取り付けられているのだ。これがすごい性能で、地上の作業員の表情や手の動きまでハッキリ映る。私はそのカメラの映像をモニターで見ながら、無線で下の作業員とやり取りしつつ、荷物を降ろしていく。
「もうちょっと右、ゆっくり」「そのまま下、あと1メートル」——こういうやり取りを、無線越しに何時間も続ける。神経はものすごく使う。だが体は動かさないので、正直に言うと楽な仕事だった。
楽な仕事にはツケが回ってくる。座りっぱなしで運動量が落ちるので、この時期の私は少し太った。自衛隊時代にあれだけ絞った体が、じわじわと膨らんでいくのが分かった。人間、動かなくなれば太る。当たり前の話である。
神経を使うが、面白い仕事だった
天井クレーンの仕事は、はっきり言って面白かった。責任は重い。吊り荷を落とせば下の作業員に大怪我をさせかねないし、機械や資材にも甚大な被害が出る。集中力を切らせない仕事だ。
だが、そのぶんやり甲斐もあった。無線で「マサキさん、ナイス」と下から言われた時の達成感。難しい角度の吊り込みを一発で決めた時の快感。あれはあれで、職人仕事の面白さがあったと思う。
給料も悪くなかった。技能職として扱われるので、単純な作業員よりも待遇は良かった。免許のありがたみを、この時期に嫌というほど実感した。自衛隊時代に免許を取りまくった若い私を、心の中で褒めてやりたい気分である。
だが、この会社は潰れた
天井クレーンの運転手として、私はしばらく充実した日々を送っていた。仕事にも慣れ、現場の人間関係にも溶け込み、給料も安定していた。「このままここで長く働くのかな」と、漠然と考えていた時期もある。
ところが——この会社は、後に潰れる。それも、ただ潰れたのではない。当時の新聞に「戦後最大の負債」と書かれるほどの、大きな倒産だった。
あの規模の会社が、そんな形で消えていくとは、現場で汗を流していた私には想像もつかなかった。給料も良かっただけに、あの時の喪失感は今でも覚えている。
だがその話は、また別の記事で書こうと思う。次回はタワークレーンの組立てという、天井クレーンの操縦よりもさらに命懸けの仕事について語りたい。ハンマーが空を飛ぶ話、月に一度の「肝試し」の話、そして——昼から酒を飲みながら仕事をしていた、あの時代の建設現場の空気について。
それではまた、次回。

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