自衛隊の演習には、当然ながら銃を持っていく。普通の隊員は小銃、いわゆる自動小銃(ライフル系)である。中隊長クラス以上になると拳銃、ピストルだ。隊で使っている拳銃は正直何を使っているか分からなかった。マジマジと見るわけにはいかないので・・・銃マニアの自分としては至極残念だった。とまぁここまでは映画やドラマで見る通りの話である。
だが、中隊には必ず「貧乏くじ」が2つ用意されていた。今回はその話をする。
誰かが絶対に持たなければならない
中隊には、小銃とは別に2種類の銃器がある。ロケットランチャーと機関銃だ。
これは「誰も持ちません」というわけにはいかない。演習が始まる前に「お前はロケットランチャー手」「お前は機関銃手」という具合に割り振られて、編成表で発表されるのだ。
この発表の瞬間、みんな祈っている。頼むから当たらんといてくれ、と。
機関銃手は地獄である

先に結論を言う。機関銃手に当たったら、その演習は終わりだ。
何が地獄かというと、とにかく重い。機関銃だけにw 正確な数字は覚えていないが、体感では小銃の倍以上はあったと思う。
そしてこれを、演習の間ずっと持っておくのである。移動のときは肩に担いだまま。作業のときは横に並べて置いておけるが、行軍となったらもう逃げ場がない。これが重たいのなんのって、ほんまに地獄やで。
しかも演習中は手放せない。銃器というのはそういうもので、置き忘れたり無くしたりしたら大目玉どころの騒ぎではない。だから疲れても、ずっと自分の体と一緒である。機関銃を持つだけで、その演習の体力は全部持っていかれた。
ロケットランチャー手は「マシな方の地獄」

ではもう一方のロケットランチャーはどうか。
物自体は大きくてかさばるのだが、実は見た目ほど重くない。ただし行軍になると、これが肩に食い込んで痛いのだ。一応ベルトのようなものが付いていて、そこを持って肩にかけるのだが、当たりどころが悪いと肩が悲鳴を上げる。
それでも機関銃手よりは全然マシである。発表で「ロケットランチャー手」と言われた隊員は、内心ちょっとホッとしていたはずだ。地獄にも等級があるのである。
で、当たるのか?
ロケットランチャーは年に何回か、試し撃ちのようなものがあった。50メートル先に戦車の的を置いて、狙って撃つ。
当たらんのですわ、これがw
今は追尾装置付きのスティンガーミサイルとか、ハイテクなものがあるらしい。だが俺たちの時代にそんなものはない。風を読んで、計算して当てにいかないと当たらない。読んだところで当たらない。
機関銃もたまに訓練で撃ったが、こっちはこっちで暴れる暴れる。反動がすさまじいのだ。撃ち方のコツはただひとつ、「上から全力で抑え込む」。それでも当たらない。正直な話。
発表の紙は、いつも同じ場所に貼られた
編成表は、いつも中隊の掲示板に貼り出された。演習の前日か、下手をすると当日の朝ということもあった。
みんな仕事の手を止めて、それを見に行く。自分の名前を探す。ロケットランチャー手、機関銃手の欄に自分の名前がなければ、その瞬間だけホッとする。だが安心していいのはその演習だけで、次はまた分からない。
割り振りの基準は正直よく分からなかった。体格なのか、順番なのか、それとも班長の気分なのか。聞いても誰も教えてくれない。ただひとつ言えるのは、**一度当たった人間が、次も当たりやすい気がしていた。いや、そんなもん当たらんで良いから「宝くじをあたってくれ!」w
**根拠はないが、あれは自衛隊あるあるだと思う。**
銃の手入れも、地獄のうちに入る
重さの話ばかり書いたが、機関銃には別の面倒もある。手入れである。
演習が終われば、当然その日のうちに整備をする。分解して、汚れを落として、油を差して、また組み立てる。これが小銃より手間も部品も多い。疲れ切った体で、さらにこの作業が待っている。
機関銃手に当たった日は、演習が終わってからが本番だと思っていいくらいだった。**体力を使い果たした後に、指先だけの細かい作業が待っている。**あれは地味にこたえた。
先輩の中には、この手入れの手際だけで機関銃手としての評価が決まる、みたいなことを言う人もいた。真偽は分からない。ただ、手を抜くと後で絶対にバレるので、みんな必死でやっていた。
それでも面白い経験だった
散々文句を言ってきたが、最後にひとつ。
「銃を撃つ」という非日常的な経験は、日本では自衛隊くらいでしかできない。重かったのも、痛かったのも、当たらなかったのも、40年経った今となっては全部面白い思い出である。
ただ、もう一回機関銃手をやれと言われたら、全力で断る。人は知らんけど、自分は二度とごめんやw
色々とバラしてイイのだろうかと思うことがあるのだが、なんせ30年も前の話なので多めに見てくださいまし。しかし我ながらよく覚えてるな~と感心している今日このごろである。
今日の一句
発表で 名前が無いと 祈る朝
ではまた!
※この記事は昭和末期の勤務経験にもとづく個人の回想です。現在の装備・運用とは異なる場合があります。


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